先日発売になった二見時代小説文庫
「公家武者松平信平12領地の乱」
その小説の後半に登場し、下之郷村の一大事に信平公とともに活躍した「恵観和尚」は弘行寺にいた実在の僧侶です。
寺史によると、荒廃した寺を(鷹司松平家の助成もあり)復興することが出来たので
弘行寺中興の祖と呼ばれ、後世の記載では恵観上人と呼ばれています。
松平信平公がご逝去された半年後の元禄三年
弘行寺と改名し、信平公の位牌を安置し供養したとされています。
寺史によると
父の法名は浄玄院法山圓心居士
母の法名は法性院歓室寿讃大姉
※名前は不明ですが高貴な身分の方ではないかと思います。
享保十八年癸丑(1733年)九月十二日寂
大阿闍梨竪者法印恵観 当寺中興也
と記載されています。法印とは江戸時代天台宗の僧位(僧侶の階級)で、権大僧都和尚位か大僧都大和尚位をさします。
何歳で入滅されたかはわかりませんが、
享保十八年(1733年)寂とすると、少なくとも信平公にお会いしたとされる頃から計算して、60歳以上の年齢で亡くなったと推測されます。当時としてはかなり長寿だったのではないでしょうか。
現在でも境内では歴代御住職と共に、恵観上人のお墓が建立されています。
是非お不動さまご参拝のさいには、恵観上人のお墓もお参りしてみてください。
弘行寺中興の祖、恵観上人について
- 公家武者松平信平12が読売新聞に掲載されてました。
- 次回の座禅・写経は今年最後12月19日です。